○鈴木(智)委員
鬼頭先生、お話、ありがとうございます。
先生のお話は、例えば以前あった人口減少対策特別委員会でも伺いましたし、そのたびにいろいろ新しい視点をいただいて、本当にありがたいと思っています。
本当はいっぱい質問したいんですが、時間もありませんので、限定したいと思います。
まず1点目が、先ほど、いずれは静止人口を実現しなければならないと。確かにそのとおりだと思うんですが、ただ、どの時点で実現すべきかって、いろいろ考え方があると思ってるんです。つまり、先ほど、今回の大きなテーマで、今、まさに文明のパラダイムシフトが求められていると、必要だと。例えば今の仕組みを何とか維持しようということであるならば、なるべく早く静止人口を実現しなきゃならないという発想になると思うんですが、ただその一方で、先生がおっしゃった真の文明のパラダイムシフトを実現するのであれば、むしろもっと少なくてもいいんじゃないかという発想もあると思うんですね。なかなか数字的には難しいと思うんですが、適正人口をどのように考えるのかということが必要だと思うんですけれども、その点、どのようにお考えでしょうか。
○鬼頭宏氏
静止人口というのは、非常に難しいと思います。かつては、経済学の中でも適度人口論というのがございまして、その社会にとってどのぐらいの人口がいいのかということを議論されたことがあります。けれども、それも考え方が全然違いますね。ある一定の水準で増加しているのがいいと言う人もいれば、一定の年齢構成が保たれているのがいいとか、あるいはその一定の規模が大事だと言う人もいる。結局、結論はつかず、適正、あるいは適度人口論が、もうほとんど人口学会では論じられなくなってしまいました。
私はやはり、自分たちがこのぐらいを目指そうよという目標が一番適正なんじゃないのかなと思いますし、例えば、今、山形の米沢地域では、置賜自給圏推進機構というのをつくって、2市5町ぐらいでしたか、米沢市を中心にやっておりますけれども、この中では、いわゆるFECを中心に、つまり、エネルギーの自給、それから食糧の自給、それからケアの自給、これをできるだけ県内で自給できるような形で進めていこうと言っております。再生可能エネルギーをベースにした社会と。そうなってくると、エネルギー供給がその近隣の地域、特に森林資源からどのぐらい供給できるか、食料がどのぐらい供給できるかが、多分その人口規模を決めていく制約になろうかと思います。だから、そういう場合には割にはっきりしていますね。
ですから、どういう社会をつくるかによって、どのくらいの人口が適当かと考えて、その目標に向かって余り無理しないとか、時間をかけるとか、そういう考え方は柔軟にしてよろしいのではないかと思います。
○鈴木(智)委員
人口減少問題を考えるときに、やはり僕は世界規模で考えるべきだと思っていまして、ですから、例えば世界規模で言うと、温暖化の問題であったり、あるいは先ほど先生がおっしゃいましたけれども、食糧自給の問題、あるいは資源の問題、いずれどこかで多分出てくると思うんですね。むしろ日本は人口がそれなりに減少しても、それなりに生活できるんだよということを世界に示していかないと。そういった地球規模で考えると、むしろ僕は正直、8000万人でも6000万人でもいいのかなと思ってるんです。それぐらいになってもいいくらいの発想も必要なんじゃないかと思うんですけど。
○鬼頭宏氏
そのとおりだと思います。1970年代に、日本でどのくらいの人口がいいのか、あるいはどのくらいであれば、当時、養えるかが議論されました。それは、石油が入ってこなくなったときに、日本の国内で食糧自給しなきゃいけない、あるいは燃料も自給しなきゃいけない、そうなると、どのくらい養えるかと。技術発展も含めても、江戸時代に毛の生えた程度、つまり4000万人から5000万人が限度であろうという議論がありました。
そしてまた当時は、人口爆発が起きている時代ですから、日本が人口減少するのは、むしろ世界に対する貢献だとの議論も公然とされていたことがあります。ですから、余り極端にやってしまって地域が維持できなくなるのは困るんですが、少し控え目に目標値を設定することは、あってもいいのかもしれません。ただ、私は人口そのものを目標にするよりは、人口を安定させることを目標にすべきなんじゃないか、いつごろまでに安定させたいということを考えるべきなんじゃないのかなと思います。
しかし、そう考えれば、当然答えは出てくるんですね。21世紀の末までに安定させようとすれば、いつ2.07を実現するかによって、最終的に達成される規模は決まってきますから。そういう発想でよろしいんじゃないかと思います。
○鈴木(智)委員
あと1点だけお願いします。
新しいまちづくり、私もこのとおりだと思いまして、実はそれが進んでいるのが、アメリカのポートランドでして、そこはやはり、行政とか地域の方が介入をして、例えば町中ですと、大体、何もしていなければ、金持ちの人しか住めなくなっちゃいますけれども、あそこはあえて低所得者の方も住めるように、今、公共の施設や住宅公社だとかを。だから先生が最後におっしゃったまちづくりを実現するには、行政がある程度、ビジョンなり、規制と言うときついかもしれませんが、そこを示す。そこを、地域の住民の方々と共有してやっていかないと、自然に任せては、多分こういったまちづくりはなかなか実現できないと思うんですが、その点をお願いします。
○鬼頭宏氏
おっしゃるとおりだと思います、行政主導で全部計画して、さあ皆さん、立ち退いてくださいというのは。この、ある時期行われた地上げ的な方法はもう絶対だめで、やはり住民の意思を尊重しなきゃいけない。けれども、今の日本の土地に対する私有権は、ちょっと厳し過ぎるような気がしますね。それが、山林にしても農地にしても、それから商店街にしても、開発、または再開発の大きな弊害になっていると思います。
そういう点では、私も何度か行って――調査で行ったわけじゃなくて、たまたま行って――見て、びっくりしたのが、四国の高松市の丸亀商店街ですね。50年でしたか、定期付借地権で、元に戻して最後返しますよと約束して、再開発組合が全面的に土地を預かって開発するということが行われています。やはりそういう説得、計画、行動が必要になってくるんじゃないか。そういう点で、土地所有権に対する弾力的な運用を。一方的に国家が召し上げるということではなくて、納得ずくで利用できるようにする仕組みをつくるべきだろうと思います。それは山林でも同じことだと思うんですよね。
○中澤(通)委員長
はい、ありがとうございます。